テレ東の「Youは何しに日本へ?」は、毎週録画して見ている。
前回、空港でインタビューされたカナダ人の親子連れに驚いた。 こういうことがあるから面白い。
その人は、「Youは何しに日本へ?」と聞かれて、こう答えた。
「私のひいおじいちゃんが、建築家で日本で多くの建物を建てたんだ。その建物を息子に見せたいんだ。」
もしかして、帝国ホテル新館を設計したフランク・ロイド・ライトかと思ったら、もっと歴史的に凄い人だった。
ジョサイア・コンドル。 鹿鳴館・ニコライ堂・三菱1号館を建てている。
東大で建築を教えていて、その弟子の辰野金吾が東京駅・日本銀行本店とかを建てていて、日本近代建築の父だな。
そして、ジョサイア・コンドルのプライベートなことが知れて、興味深かったのだ。
コンドルは、24歳で来日、日本で前波くめさんと結婚、
「コンドルの一人娘ヘレンは、日本を離れてベルギーの学校に通ったんだ、私の父なんかは小さいころ日本に何度か来て、コンドルに会っているからね」
こういう写真を見ると、歴史を見ている感じがして、じんと来るね。
気になって、「コンドルの子孫」で調べてみた。
2人は、明治26年7月結婚する。J・コンドル40歳、「くめ」36歳である。2人の間に子供は生まれなかったが、一人娘ヘレンがいた。 妻くめは、日本に来た若い頃に芸者との間に出来た娘のことを知り、夫コンドルに引き取るようすすめたという。浅草方面の下町に里子に出されていて、人に頼んでやっと捜し当てた。 彼女の生みの親については判然としないとされている。
J・コンドルは前波くめと結婚する時、娘ヘレンを引き取る。ヘレンを名門東京女学館に入学させ、卒業する明治34年の二度目の帰国時、ヘレンを連れて行く。ヘレンをブリュッセルの学校に留学させるためである。
ヘレンは4年間の留学を終え、明治38年3月日本へ戻って来る。その帰途の船中でウィリアム・レナードに見初められ、翌39年結婚する。グレートは、スウェーデン海軍中尉のデンマーク人。ヘレンは、結婚翌年から10年程で、3男3女をもうける。結婚後、グレートがスウェーデンの駐バンコク総領事になったので、夫妻はバンコクで暮らした。その間、コンドル夫妻は生まれてきた孫達、最初の3人、多い時には6人を自邸に引き取り育てた。孫娘3人は、港区白金4丁目聖心女学院に通わせた。 (こちら)。
外国人親子連れには、日本人の面影はなかったね。
それにしても、歴史は面白い。
なぜ、コンドルが気になるかと言うと、日本画家「河鍋暁斎」の熱い師弟愛で結ばれた弟子だったから。
河鍋暁斎は、こんな絵を描いている。 これを見た時、度肝を抜かれたなあ。 「新富座妖怪引幕」
ちなみに、この絵は、今、大英博物館で開催中のマンガ展「The Citi exhibition Manga」展に出展されている。 イギリス人の度肝を抜いていることだろう。
暁斎は、晩年、弟子コンドルのために「大和美人図屏風」という絵を描いて、送っている。
これが、素晴らしい絵で、暁斎の最高傑作になっている。
それだけ、コンドルへの思いが強かったということだろう。
そして、コンドルは暁斎を死の床で看取っている。