江戸中の地下には、何と上水網が張り巡らされていた。

 NHKスペシャルで シリーズ「大江戸」が始まっている。
東京のルーツの町「江戸」をめぐり、新たな発見や研究成果が相次いでいる、それを紹介するシリーズ。

 「第1集 世界最大!!サムライが築いた“水の都”」が面白かった。
江戸は、徳川家康が幕府を開いてから100年ほどで、世界最多の100万の人口を抱える巨大都市となった。
その原動力はどこにあったのか? 
江戸は水を駆使して造り上げた、世界に類をみないユニークな都市だった、とのこと。

一つ目のキーポイントは、堀。
 江戸の中心の江戸城、それは堀に囲まれていた。
その堀が全く新しい堀だった。 普通堀は、敵から守るため、城を取り囲んでいるだけ。
しかし、江戸の堀は、江戸城を起点に螺旋状に作られていた。
螺旋状にしたのは、堀を水運としても利用するため。 堀の一部が海からの運河とつながれば、海からの物資を町中へ、城へと容易く運ぶことが出来る。
最初は2重の堀だったのが、30年後には3重の堀になり、町の面積が五倍以上になった。
堀の端を伸ばしていけば、いくらでも町を大きくすることができる、という画期的なアイデアだったのだ。
それは、家康のアイデア。 凄い男だな。

二つ目のポイントは、石。 
江戸は、半分以上が海や湿地だった。
家康をそれを埋め立てた。 そして、その軟弱な地盤に堀を残して、その両側に石垣を築いた。
100万個を超える石。
それを家康は、地方の大名にやらせた。
この石造りの強固な堀によって、巨大な物流ネットワークを築いたのだ。

最後のポイントは、水道ネットワーク。
江戸の急激な人口増加によって、深刻な水不足が起こった。
江戸は川もあるし、どこでも井戸を掘れば、簡単に地下水が得られていたと思っていたら、どうやらそうじゃなかったみたいだ。
江戸の発掘調査で、木製の井戸が、地下で木をくりぬかれた水道管に繋がっていたことがわかった。
その水道管のネットワークが江戸中の地下に張り巡らされていたというのだ。
これは、本当に凄い。 初めて知って驚いたよ。 勿論、当時世界では類のない物だ。
この事業を行ったのは、水道奉行、伊奈忠治・忠克親子。
彼らは、この上水事業の前に、当時東京湾に注ぎ、よく氾濫を起こしていた利根川の水路を変えて、銚子の方に持っていくという大事業を行っていた。 この話は本で読んで知っていたのだが、それを知った時も驚いたなあ。
さて、その上水路は、多摩川の上流から水を引き、江戸へと43kmもの長さの上水路を作るというもの。
水を吸う地層を避け、谷を避けというルートを探し、10m進んで2cmしか下がらないという奇跡の勾配と呼ばれる上水路を作ったそうだ。
この上水路は、現在の四谷で地下に潜り、水道管のネットワークに繋がっていたそうだ。
そして、この水道管のネットワークにより、江戸中に上水が供給された。
自分は、江戸中の地下の水道管のネットワークがどうやって築かれたのか、そちらの方が気になるのだが、そっちの方は、紹介されていなかった。
この上水のネットワークにより、人口増加に対応でき、江戸は100万都市となったのだ。

 江戸は、当時世界一人口の多い都市だった。
それは、家康が外様大名の親族を江戸に住まわせ、参勤交代を行わせたことによる、人口集中が要因だと思っていた。
しかし、そんなことだけでは、世界一にはならないんだな。
螺旋状の堀による水運ネットワークを町中に築いたこと、地下に上水路のネットワークを築いたこと、この二つの世界に類のない技術革新があったからこそ、誕生したことなんだ。

 家康は凄い。
信長・秀吉も凄いけど、最後の家康が一番凄かったのかも知れない。
江戸は、封建制度や鎖国でなんか遅れた世界に見えてしまうけど、イギリスで産業革命の起こるのは、18世紀半ば、その前の17世紀には、世界最先端だったのかも知れないなあ。
江戸の多量の糞尿とかも近郊の田畑の肥やしにして、完全リサイクル都市を築いていたというからねえ。
日本という国は、昔から結構凄かったのかも知れないなあ。

「第2集 驚異の成長!!あきんどが花開かせた“商都”」
【放送予定】5月27日(日)総合後9:00~9:49
「第3集 不屈の復興!!町人が闘った“大火の都”」
【放送予定】7月1日(日)総合後9:00~9:49
と、続くので、必見。

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