セザンヌ 《赤いチョッキの少年》 ゴッホ 《自画像》
京都市美術館でワシントン・ナショナル・ギャラリー展を見た(2011/11/05)。
岡崎公園の駐車場がえらく混んでいるなと思って外に出たら、京都会館でB級グルメ大会をやっていた。少し雨が降っている。
印象派の少し前の時代の絵が並んでいる。コロー、クールベ、ブータン、マネと続く。
マネの《鉄道》、後ろ向きの少女の青いドレスリボンが印象的である。マネらしいさらっとした色で不思議な感じを受ける。ファンタン・ラトゥールの「皿の上の3つの桃」、繊細で美しい絵である。海老茶色のテーブルに同系色の桃、それらを白い皿が浮き立たせている。ドガの「アイロンをかける女性」、実際には薄汚いクリーニング店なのだろうが、ぶらさがったシャツたちが美しく見えてくる。そして、モネ。初期のらしくない絵3点の後に、「日傘の女性、モネ夫人と息子」があった。久しぶりに大きな感動に包まれた。無造作なタッチで描かれた千切れ雲が光をはらんで揺れ動いている。逆光の中の夫人が、明瞭に描かれていないために、追憶の中の女性のように感じてくる。絵の中にどんどん引き込まれていく。次々に、感想が浮かんできては、消えていく。この作品に、いつでもこんなに引き込まれるとは思えない。とにかく、感性のスイッチが入った感じだ。次に、《ヴェトゥイユの画家の庭》。モネの庭で咲き乱れるひまわりを中心に描いた絵である。モネの素晴らしい色と光があふれる世界である。見惚れる。絵の近くで色彩が乱舞するのを見ていると、写生なんかどうでもよくて、色と光こそモネにとってすべてで、どうせなら自由に色と光を配置したら、どうなるんだろうと思ったり、いや、こういう実際の形があってこそ、秩序が生まれ、美しいのだと思ったりもした。もう完全に絵への没入モードである。そして、「太鼓橋」、周囲をびっしりと草が繁茂した池に睡蓮が浮かんでいる。モネの睡蓮を一体どれくらい見ただろう。最近は見慣れた感があるだが、今日はみとれてしまう。睡蓮が水面に浮かんでいるのが、頭で思うのではなく、眼で実感させられることに、相変わらず、感心する。水面が周囲の草々を写して、光を反射している。見事だなあ。モネは本当に素晴らしい。
ポール・セザンヌ 《りんごと桃のある静物》、くっきりとした色使いがあまり好きになれない。《赤いチョッキの少年》、いいなあ。渋いながら赤が印象的で美しい。最後に
ゴッホの青い《自画像》、ゴッホの自画像は、36点もあるそうだが、何点か見たことがある。顔の周りを放射状の線が取り囲んでいる。なんなんだろうなあ、これは。ゆらゆらと情念が立ち上っている。ベストの自画像ではないが、いい。