「若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会」 相国寺承天閣美術館 07/05/19

 見たかった伊藤若冲の動植綵絵30点すべてが見れるということで、大いに期待して相国寺に見に行った。普段は三の丸尚蔵館にある動植綵絵すべてが見れる機会はもう2度とないであろうから、絵が好きな人は是非見に行くべきだと思う。一部屋にずらっと並んでいる様は、実に壮観だった。これで人が少なければ・・・。
 若冲の絵は、平成12年に京都国立博物館で開催された没後200年若冲展で初めて見て、度肝を抜かれた。見事な水墨画や著色画の掛軸を見ながら、館内を半周すると《樹花鳥獣図屏風》6曲1双がどんと置かれていた。風呂屋にある色タイルを貼ってつくったような、モザイク壁画のような絵で、江戸時代から現代にすっ飛んだような衝撃を受けた。江戸時代にこんな絵がかけるなんて、ぶっ飛んでいるとしかいいようがない。こんな変な技法を用いていても、絵として良いところが凄いと思った。他にも水墨画で点描をしていたり、他の画家とは異なる描き方、異なる形象、異なる感覚が随所に現われていて、そこに惹きつけられたり、違和感を感じたりと、うーんと唸らざろうえない画家である。
 さて、今回の動植綵絵であるが、前回感じたのと同じ若冲だった。色鮮やかというか、絵の具の色鮮やかというか、最高級の絵の具が使われているらしく、古めかした感じが少しもしない。そして隅から隅までくっきりと細かく描きこまれ、塗りこめられているため、濃密な世界が繰り広げられる。鶏の絵が8点ある。鶏は、若冲が庭に放した鶏を1年間ただ見つめ続けた後、描いただけあって、文句なく素晴らしい。それにしても、究極のリアリズムという絵にならないで、若冲の鶏になっているところが不思議である。なかでも群鶏図が素晴らしいが、一匹顔を正面上から見た鶏がいる。こういうのは、若冲の絵でしばしば見かけられる。マンガチックに見え、違和感を感じるのだが、若冲は気にしないようだ。雪を描いた絵が3点あるが、雪がどろっとしていて液体のようだし、雪中鴛鴦図のもぐる鳥の周りの水もどろっとしていて、おかしい。紅葉小禽図では、左下の枝がわっかになっている。こんな枝はありえない。梅の絵は、2点とも薄暗くて、梅の普通の美しさがない。魚や貝や虫の図鑑みたいな絵がある。リアリズムなのか幻想なのか?。葉にも虫食いの跡やしみがあるのだが、あまりリアリズムの追求という気もしない。極めつけは、菊花流水図で、これは何から何までおかしい。右の壁に15点、左の壁に15点を控えて中央に釈迦三尊像があった。顔に慈悲もないし、何も感じない。これが、一体仏であろうか?
 なんか文句ばっかり書いてしまったが、それでも凄い絵だと感じさせるところが凄い。これらの若冲から感じる違和感の源は一体何だろう。他とは異なろうという意思の故か。己を突き詰めた結果なのか。自分が得た知識からは、他を気にすることなく、自分の道を歩んだ画家というイメージなのだが。そうなら、若冲の感覚には、奇異なところがある。それが、若冲の名が、ビッグネームとして残らず、一時忘れられた原因であろうし、これからも異端の画家として残ることになると思う。素晴らしくはあるのだが。

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