マラドーナが亡くなった。
晩年の太った姿を見ていたから、早死にするだろうなと思っていたけど、60歳とは、早すぎる死だね。
ご冥福を祈ります。
マラドーナと言えば、
1986 FIFAワールドカップ メキシコ大会だろう。
準々決勝のイングランド戦、ペナルティエリアに走りこんだマラドーナと浮き玉を処理しようとした相手GKピーター・シルトンと交錯したが、マラドーナは空中のボールを素早く左手ではたき、ボールはそのままゴールインした。イングランドはマラドーナのハンドを主張したが、審判は彼の得点を認めた。「本当は手で触れたのだが、神の思し召しにより許された」という趣旨の発言をしたことから「神の手」のゴールと呼ばれた。 上手いこと言うもんだな。 これで、キリスト教徒である白人達は黙った。
そして、その4分後にセンターライン付近でパスを受けると単独で60m近くドリブルし、5人を抜いて無人のゴールにボールを蹴りこんだ。 これは、凄いゴールだった。 5人抜きドリブルも凄いが、それをゴールで決め切ってこそ、伝説になる。
まさしく神に選ばれたプレイヤーという感じだ。 これで神の手も正当化された。
準決勝のベルギー戦でも2得点を挙げ、決勝の西ドイツ戦では、決勝点をアシストした。大会中チームの全14得点のうち5得点5アシストを記録、アルゼンチンを2度目のワールドカップ優勝に導いた事から大会最優秀選手に選ばれ、同大会は「マラドーナのための大会」と呼ばれた。
その後も、ある程度活躍したけど、余韻に過ぎなかったな。
しかし、自分が一番最初に衝撃を受けたのは、日本で開催された1979 FIFAワールドユース選手権第2回大会だった。
日本で開催されたので、他国の試合でも放映されていたんだろうな、記憶に残っている。
この時のアルゼンチンが凄かった。 2人のFWが速くて巧くて、どうしようもなかった。
恐ろしく速いカウンターで、2人のFWで点を取りまくった。
その2人が、マラドーナとラモン・ディアスだったのだ。
ラモン・ディアスは、晩年に、1993年に開幕したJリーグにやってきて、横浜マリノスでゴールを取りまくり、32試合で28ゴールを挙げ、Jリーグ初代得点王になった。 上手かったなあ。 魔法の左足だったね。
そのワールドユースで、2人共凄かったけど、自分にはラモン・ディアスの方が、良く見えたな。
実際、ラモン・ディアスが8ゴールを挙げてゴールデンシューズ賞(得点王)となり、マラドーナは6ゴールでゴールデンボール賞(MVP)に選出された。
圧倒的な攻撃力をみせたアルゼンチンユース代表について、マラドーナは「文句なしに、自分のキャリアの中で一番素晴らしいチームだった」と語ったそうだから。 それほど、凄かった。
この時のマラドーナとディアスを見たサッカーファンは、どれくらいいるかな? 何か、自慢したくなるね。
1982年 ワールドカップスペイン大会のジーコ・ソクラテス・ファルカン・トニーニョセレゾの4人による黄金の中盤が織りなす後ろから選手たちが湧き出てくるような華麗なサッカーに次いで、強い印象が残ったチームだった。
あれほど凄いコンビを組んだマラドーナとラモン・ディアスが、その後ワールドカップでコンビを組んでないんだよなあ。
この2人がコンビを組んでいたら、アルゼンチンがワールドカップを3連覇ぐらいしていたかもね。
マークが分散されるから、もっと活躍出来ただろう。
知らなかったけど、ラモン・ディアスとマラドーナは犬猿の仲だとされ、1986 FIFAワールドカップと1990 FIFAワールドカップへのディアスの出場をマラドーナが妨げたと言われることがあるそうな。
そうだとしても、嘘だと思わないな。 自分に匹敵する選手が隣にいるのが許せないと思っても、不思議でない、そういう選手だな。
薬物問題があり~ので、まさに光と影が強い選手だった。
一番のサッカー選手だね、自分のサッカー観戦歴においては。
メッシも凄いけど、アルゼンチン代表ではなく、バルサというクラブで活躍した選手だから、インパクトは少し薄くなる。