「大 関ヶ原展」を見て来た。

 京都府京都文化博物館で「大 関ヶ原展」をやってるので、見て来た。
徳川家康没後400年記念ということらしい。

 あれから400年たつのかあ、という感じである。
これだけ生きていると、歴史の知識がどんどん積み重なってくる。
そして、江戸時代という時代が、如何に現代日本の発展にとって、欠かせなかったかが、わかってくる。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、この三人は、日本の恩人といっても良い。
子供の頃読んだ太閤記の影響か、豊臣秀吉が一番好きだが、織田信長の革新性が与えた影響は、日本史において、3本の指に入るだろう。
徳川家康は、あまり好きではないのだが、現代日本の発展につながる基礎を築いたのは、間違いない。
それを知ったのは、竹村公太郎著「日本史の謎は地形で解ける」からである。
利根川は昔東京を流れていた。
そのため、関東平野は、大湿地であった。
徳川家康は、その利根川の流れを、銚子に変えたのである。
そのため、関東平野は、乾き、現在の東京の繁栄の基礎となったのである。
この功績は、あまりに大きいだろう。

 ちょっと話が逸れたけど、
大 関ヶ原展 004 (640x480)
「大 関ヶ原展」。
かかわった武将ゆかりの品々、甲冑や刀や肖像画が並んでいた。
関ヶ原の戦いは、家康と三成の雌雄を決する大決戦というよりは、小早川秀秋の裏切りによって、勝ち負けが決まった戦いだから、あまり面白くはない。
戦闘能力ではなく、政治力で決まった戦いだった。
その中で面白かったのは、総崩れになる西軍の中で、東軍に囲まれながら、島津義弘が決死の正面突破を図り、それに成功したことである。
この話は知らなかった。
この話は面白そう。
いつか本で読もう。

 さて、甲冑で「いいな」と思ったのは、徳川四天王の一人、「榊原 康政」の甲冑である。
兜にねじり鉢巻きの彫りをあしらい、胴には「無」の文字、鎧の草摺に波涛文様をあしらっていて、ずば抜けてセンスが良かった。
この人も知らなかったが、興味が湧いてきた。
調べてみよう。

歴史に思いを馳せる時間となった。
大 関ヶ原展 005 (640x480)
これは記念撮影用の甲冑。 

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