フランツ・マルクの「三匹の猫」
ピカソ (本展にはなし)
ピカソとクレーの生きた時代展を見に兵庫県立美術館に行った(09/05/30)。ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館が所蔵する西洋近代美術のコレクション64点で構成されていた。絵の数が、少し少ない印象を受けた。
まず、表現主義のコーナー、マティス、ドラン、ブラックの風景画があったが、どれもイマイチ。そして、フランツ・マルクの「三匹の猫」があった。フランツ・マルクは、たぶん見るのは初めてだ。ただ緑の草むらに猫が三匹いるだけの、何かを強く表現しているとは思わない絵なのだが、妙に気になった。面白い。今回、この絵の前で一番長く佇むことになった。黄色のねこ、茶色のねこ、白と黒のシャムねこと三匹の猫が並んでいる。シャムねこは、画面一杯に後ろ脚を跳ね上げて躍動している。勿論、表現主義だから、単なる写生ではない。形は少しデフォルメされ、単純化されている。背景は、草むらなのだろうが、何かよくわからない色の面で表現されている。色と形の組み合わせが、なぜかはわからないが引き付けられる。自分の無意識下に訴えてくるものがあるのだろう。現代絵画はこうでなくてはならない。現代絵画は、写生からどんどん離れていっている。視る者に考えさせて、屁理屈を思いつかせて、良いとも思ってもいないくせに、何か大きな意味があるのではないかと思わせて、評価を得る。そういう絵には、辟易だ。眼に訴えるものがあってこそ、絵だと思う。この絵には、それがある。しかし、なぜそう感じるのかはよくわからない。だから、この絵のポスターを買った。部屋に貼って見ていれば、その秘密に気付く時があるのかもしれない。
シャガールやスーチンもイマイチだった。そして、マックス・ベックマンの「夜」、これには期待していた。ちらしで見た時から、この絵には衝撃を受けていた。男が一人、吊るされ、首を布で締めあげられている。女が一人、全裸ではないが、尻を剥き出しにされ、両手縛りで半ば吊るされている。リンチする者は、無骨だが普通の人達だ。色を抑えた強烈な表現で、太い黒の輪郭線と灰色の無地の世界が、その残酷さを浮かび上がらせている。しかし、なぜだろう。生で見た時は、それほどでもなかった。
次に、キュビズムのコーナー、ピカソの絵が6点あった。中でも、ドラ・マールを描いた「ひじかけ椅子に座る女」が目についた。様々な角度から見た女を一つの画面に繫ぎ合わせている絵だ。最近読んだ、「バカの壁」で養老 孟司が、面白いことを言っていた。ピカソは、単に、様々な角度から見た女を頭の中や画面上で繫ぎ合わせているのではない。ピカソは、意識的に、頭の中の神経回路を操作して、様々な角度から見た女を同時に実際に見ているのだ、と。ちょっと信じられない。もし本当だとしたら凄いことだ。そうあってほしいとも思う。ただ単に、一つの画面に繫ぎ合わせているだけなら、確かに手法としては、新しく画期的かもしれないが、それがどうしたというのだ。別にそれが美しいわけでもないし、心動かされるわけでもない。キュビズムの絵は、ピカソの絵といえど、何度注意深く見ても、惹かれるものがない。
次に、シュールリアリズムのコーナー、これまた面白くない絵の数々、しかし、ルネ・マグリットの絵は、少し違う。少し違うが、今回の3点は、いまひとつだった。
最後は、カンディンスキーとクレーのコーナー、ちょっといいとは思うが、たいしていいとは思わない。