聖徳太子ゆかりの名宝展   大阪市立美術館  08/05/31

 大阪市立美術館に「聖徳太子ゆかりの名宝展」を見に行った。昔どこかで、「聖徳太子展」を見たとき、イマイチだった記憶があるので、あまり見る気はしなかったのだが、今日はまた雨模様なので、山はあきらめて、こちらにした。昔を調べたら、ここで02年にやっていた「聖徳太子展」だった。その時は、国宝の玉虫厨子や夢違観音も出品されていた。しかし、太子を追慕して作られた後世の作品は、仏陀と違ってレベルが低いなと思った。今回もそう思ったが、ゆかりの品々でいいのがあった。
 まず、叡福寺の「聖徳太子絵伝」が7幅並んでいた。聖徳太子の生涯の出来事が、全く順不同に縦長の画面に描かれている。解説書きがなければ、何がなんだかという絵である。普通年代順に描くだろうと思うのだが、四季で分けられているのだ。聖徳太子については、大いに興味があるので、ひとつひとつ出来事と絵を確認していく。見終えて、さてと、と離れて絵全体を見る。全然ダメではないか。絵としてダメだ。しかし、第3幅だけはいい。細かい波が模様のように絵全体近くを覆っている。斬新だ。木も他の幅の変な木と違って、なかなか良い。この幅だけ、違う画家が描いているんじゃないかと思った。というか、この幅は古く見え、この幅だけ残って、残りは後世の物ではないのかなあ。この部屋は、色々な「聖徳太子絵伝」が飾られていたのだが、似たようなものだ。
 国宝の一遍聖絵を展示期間外で見られなかったのは、残念。重文の「聖徳太子孝養立像」、怖い顔で、迫力がある。しかし、この顔で何で孝養なのかがわからない。伝細川氏綱の「馬上太子像」、16歳の太子のきりりとした顔がいい。大体、すべての絵や木像の太子の顔が気に入らない。日本史上屈指の精神の持ち主のイメージと合わない。「釈迦十六善神像」、眷属の多様な表情がいい。重文の「文殊渡海図」、さほどでもないと思うのだが、その右隣にあったのが素晴らしい絵だった。「尊勝曼荼羅」、中央に金剛界の大日如来が蓮の上に座禅している。なんとも言えない不思議な表情をしている。この神秘さは、大日如来という人智を超えたものに相応しいように思える。蓮は、紅、青、緑、茶色の美しい花弁がお椀のようになっている。顔の後背のデザインが見たことのないような文様でしかも美しい。その周囲を小さな炎が囲んでいる。そして、大日如来全体を白い玉が囲んでいる。大日如来の下の二人の不動がまた素晴らしい。黒不動であるが、見たこともない黒と紅の組木の台座に座っている。そして紅い炎の後背が、ただ後ろに板のようにある様式化された奴ではなく、台座の下から炎が燃え盛っているのだ。その炎の姿が美しい。そして離れて見ると、不動の二つの紅い炎が、大日如来の白い玉を下から支えており、大日如来の白い玉が浮かんでいるように見える。それがまた素晴らしい。これが、なぜ重文でさえないのだと思ったが、解説に金剛寺に元本があるようなことが記載されていた。気になったので、ネットで調べてみたら、全く同じのがあり、そちらは重文になっている。しかし、本展のが写しとしても、素晴らしい出来である。「雨宝童子像」、白装束の童子の立ち姿が美しく、はっとした。
 1階の展示室には、木像が並んでいた。右の二天立像は、ずんぐりしていて不恰好であるが、存在感がある。左の二天立像は、鎌倉のような迫力はないが、平安特有の美しい立ち姿をしている。重文の「地蔵菩薩立像」、非常に明晰なお顔をしていて、印象に残る。
 写真は、「尊勝曼荼羅」。 

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