President ONLINEに 将棋の名人 羽生善治「若手に負けぬための秘密の習慣」という文章が載っていた。
羽生名人は、将棋界の第一人者に留まらず、その発言や本の内容から、現在の日本の第一級の知性だと思っている。
だから、将棋に興味がない人でも、面白く読めるし、為になると思う。
将棋に興味がない人にとっては、リンクの文章は少し長いかもしれないが、読んでいただくとして、為になるのは、
— 「羅針盤の利かない」状況にわざと身を置く —
という段落である。
40代は、自分がこれまで蓄積してきたことを、具現化していくのにとてもいい時期だと思います。
しかし、迷いもするし、きっぱりと割り切れないことも多い。
ただ、折々に判断を下すときに、私は人間が本来持っている「野性の勘」を大切にしたいと思っています。
将棋では、過去に習い覚えたことがまったく役に立たない場面がしばしばあります。
羅針盤が利かない状態が起こるのです。
そうなると勘に頼るしかないのですが、世の中が便利になり、生活が快適になるほど、その勘は鈍っていくように思われます。
ですから、勘を磨く習慣やトレーニングが必要だと思います。
何をするかというと、「羅針盤の利かない」状況にわざと身を置くことです。
それほど大げさなことではありません。
たとえば私は、初めて訪れる待ち合わせ場所などには、しばしば地図を持たずに行きます。
住所だけを頼りに、頑張って考えたり、人に聞いたりしてこっちかな、あの道だなと勘を働かせながら歩くのです。
引用が長くなってしまった。
リタイアしてしまうと、ストレスは減るし、野生の勘は、鈍りっぱなしだ。
これは、危険なことだと思っている。
今何とか安泰だと思っていたとしても、世の中は変わっていく。
そしてそのスピードは、早い。
情報は、ネットから得られるかもしれないが、その情報を判断するのは、理性と勘だ。
幸い、自分は、山登りが趣味である。
山登りは、スリルがある。
単に、道に危険な箇所があるとかだけでなく、道に迷うという危険がある。
こちらの方が、普通の山登りでは、気をつけなければならない。
道に迷いかけたことは、何度もあるが、その時は、危機感で、全神経が研ぎ澄まされる。
野生の勘が、全開だ。
自分にとって、山登りの楽しみの一つが、知らない所を進んでいくスリルにあった。
40代から偶然山登りを始めたけど、本能的に求めていたのかもしれない。
実際、感が鋭くなったような気がする。
あくまでも気だけど。
これで、山登りは、好きなことに留まらず、やり甲斐のあることにもなった。
我田引水すぎるかな。