前方後円墳は、不老長寿の島。

 NHKの歴史ヒストリアは好きで、良く見ているのだが、この前の「コーフン!古墳のミステリー」は、とても興味深い回だった。
前方後円墳の起源について、探ったものだった。
前方後円墳は、日本独特のものだが、円墳と方墳が合体したものだと思っていた。
ところが、前方後円墳は、不老長寿の島を模した物だというのだ。
考古者の辰巳和弘という人が、こう語っていた。
「前方後円墳の形を虚心坦懐に見れば、「壺」というものに意味があるだろうと。」
確かに。 素直に見れば、どうしたって、壺に見える。
これには、虚を突かれた。

 3世紀頃の中国のお墓から神亭壺という壺が発掘されている。
不老長寿の仙人が住む理想郷が壺の中にあったと考えられていたそうだ。
さらに2世紀のお墓から発見されたレリーフでは、東王父という仙人が、東の海に浮かぶツボ形の島の主で、その島では不老長寿の薬が採れると考えられていた。

 これは、とても説得力のある説である。
なぜなら、前方後円墳は、水の堀で囲まれているからである。
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仁徳天皇陵。

 水の堀で囲まれている。 これは、海に浮かぶ島を模している。
そして、「壺」なら入り口は、台形の底辺になければならないだろう。
確かに、入り口である鳥居は、そこにあるのである。
仁徳天皇陵のすぐ南にある履中天皇陵も
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その拝所は、「壺」の入り口にある。

奈良にある、崇神天皇稜も
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その拝所は、「壺」の入り口にある。

 いずれも、ここ数年に実際に自分の眼で見た前方後円墳である。

さらに決定的なのは、奈良の巣山古墳の堀から巨大な船の部材が発掘されたそうである。
復元すると、長さ8mもの船だった。 海を渡ることを模した船である。
死者は、この船に載せて、古墳の堀を渡り、堀の島に、ユートピアに運び込まれたのだ。

 7世紀に、突然前方後円墳は作られなくなった。
蘇我氏が導入した方墳が、天皇陵でも用いられるようになった。
方墳は、仏教と共に入ってきた世界観を現したものだそうだ。
そして、天皇や実力者達は、古墳よりも仏教寺院を作り、権力を誇示するようになったと。

 歴史は、奥深くて、面白いなあ。

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