NHKでスペシャル シリーズ「大江戸」という番組をやっている。
東京のルーツの町「江戸」をめぐり、新たな発見や研究成果が相次いでいる、それを紹介するシリーズ。
その第二弾、「第2集 驚異の成長!!あきんどが花開かせた“商都”」を見た。
その前に、「第1集 世界最大!!サムライが築いた“水の都”」を見た感想はこちら。
過去2000年間の世界経済を分析した国際共同研究によって、江戸中期の経済成長率(1人あたり)が、同時期の世界でイギリスに次ぐ2位だったことが判明したそうだ。
その謎を探るお話。 今も続くカツオ節問屋「伊勢屋」の歴史を辿ることによって、その謎に迫っていた。
「伊勢屋」の主人の克明な日記や店の記録が残っていたので、わかりやすく面白く辿ることができた。
江戸の町は、当時武家50万人、商人や職人からなる町人50万人で計100万超の人が住んでいた。
消費する人々だけが住む特殊な町が出来上がっていたのだ。
「伊勢屋」は、人口の半分を占める武家に狙いをつけ、加賀藩の出入り商人になることに成功し、大儲けする。
しかし、大名バブルが弾ける。 急激な物価上昇で、地元からの年貢収入以上の浪費をしてしまったためだ。
そこで、武家は商人からの借金を踏み倒した。
多くの商家が潰れ、伊勢屋も零落する。
この大名バブルが弾けても、江戸はかえって急成長を続ける。
なぜか? 当時の様子が描かれた絵巻物に、1671人の人々と90件を超える店と100種を超える職業の人々が描かれていた。 職業がこれほど多くに分かれていたことこそ、江戸後期の経済成長を支えていたと考えられているそうだ。
様々な職業間で取引が行われるため、新たな市場が出来ることによって、経済成長が促進されていった。
要は、お金が一部の人に留まるのではなく、人々の間を凄いスピードで回っていたんだろうなあ。
伊勢屋も、そこから残り50万の町人に狙いをつける。
そして、安くて旨い鰹節を上方から見つけて来て、「現金掛け値なし」(商品に定価をつけて現金で売る)という新しい商法をやりだした。 これは、欧米に先駆けた画期的な新商法だった。 それまでは、つけ払いで売り、その代わり値段を高くして売るのが普通だったそうだ。
客は買ってみないと、品質がわからないから、店は暖簾をかけて、品質を保証するということが肝だった。
武士に武士道があるように、商人には、暖簾をかけた商人道がここで生まれたのだった。
これは、初めて知ったなあ。
零落の悲哀を味わっていた伊勢屋の3代目は、これで大儲けをする。
しかし、江戸の町では、急速な経済発展の影で格差という深刻な問題が発生していた。
そこに1783年、浅間山の大噴火が起こる。 東日本が灰で埋まり、天明の大飢饉が起こる。
食い詰めた人々が、富を蓄えた商家を襲い、米や商品を略奪した。 打ち壊しという奴である。
5日間で江戸の店1000軒が壊されたそうだ。
この危機において、商人達はどう動いたか。
江戸の大商人達は、集まって、町会所という組織を作り、運営した。
地区ごとにお金を集め、米を買い、貧しい人々に米を分け与えたそうだ。
言わば。江戸のセーフティネットを作った。
江戸の各所に30以上の米蔵を作った。 50万人が半年以上食べられる量の米蔵もあったそうだ。
まだある。 もう一つ江戸では大問題が起こっていた。
江戸中に張り巡らされた水路が土砂に埋もれ、劣化してきていたのだ。
この水路の維持・補修も町会所で行った。
江戸時代を通じて、商人達はセーフティネットと水路の維持等に1000億円を費やしたそうだ。
江戸の町を支えていたのは、幕府ではなく商人達だったんだなあ。
金の亡者みたいなイメージがあったが、そうではなかったんだ。
大商人達が、一致団結して、幕府からの命令ではなく、自主的に公共的なことをやったというのが、凄いよ。
こういう歴史は授業で教えておくべきだな。
心に残り、将来、受け継がれていくかもしれないから。
伊勢屋の3代目は、
「猛獣の如く商いせよ」と日記に書いていたこともあったが、
晩年日記にこう綴ったそうだ。
「富が人々より勝れば、人は必ず憎む。
情けに通じ、足るを知ることが富である。」
長い商人人生の末に辿り着いた境地、凄いな。 思想家みたいな言葉だよ。