NHKの歴史秘話ヒストリアは良く見ているのだが、この前、「日本人と山」という回があった。
日本の登山人口は、800万人だそうだ。 15人に1人の割合。 多いなあ。 自分もその一人だが。
日本人と登山のかかわりを、3つのエピソードで綴っていた。
一つ目は、山岳修行をしていた播隆というお坊さんの話。
ブロッケン現象を見て、槍ヶ岳の頂上には、御仏がいると信じて、槍ヶ岳へのルートを切りひらいた。
二つ目は、江戸時代のサムライ登山隊、「加賀藩黒部奥山廻り」の話。
奥山廻りは、越中と隣国・信濃の国境い、黒部峡谷を見張り、木材鉱物資源を守る目的で作られた。
彼らの日記と描いた絵図から辿る物語。
黒部峡谷を川に沿って登って行く。 沢登り。
命懸けの登山だったようだ。 そして、最後、現在では失われた1000mもの断崖絶壁を登るルートで鹿島槍ヶ岳の頂上に到達した。
現代の登山家・服部文祥さんが同じルートを踏破し、かなり高いレベルの登山だったと語っていた。
三つ目は、幕末の英国外交官アーネスト・サトウの山登りの話。
この話に、一番驚いた。
アーネスト・サトウは英国外交官、明治維新の立役者の一人と言っていいだろう。
英国は、維新側につき、薩摩藩に物資を流していた。
さて、明治になって、アーネスト・サトウは帰国していたのかと思いきや、日本の実地調査を命じられていた。 彼は、実地調査というよりは、それにかこつけて、山にたくさん登った。
その山登りは、植物や生き物を観察したりする自然を楽しむ山登りだった。
日本の山登りの本も書いている。 そこで、初めて日本アルプスという表現をしたそうだ。
彼は、そうしている内に、日本が好きになり、日本人の妻を娶った。
そして、一人の男の子が生まれた。 武田久吉。
サトウは、この子を連れて、よく山に登り、楽しみながら山に登るというスタイルを伝えた。
後年、久吉は、イギリスに留学、植物学を学んだ後、仲間と共に日本山岳会を設立、山を楽しむスタイルを伝えた。 アーネスト・サトウの子孫が日本の登山の歴史に大きくかかわっていたとは。
歴史は不思議で面白いね。
最後、テレビには、久吉の次女さんが出て来て、父との楽しい登山の思い出を語っていた。