東大生が断言「頭が良い人、悪い人」決定的な差、という記事を読んだ。
「東大生は『生まれつきの頭の良さ』以前に、『頭の使い方』が根本的に違いました。その『頭の使い方』を真似した結果、成績は急上昇し、僕も東大に合格することができたのです」という掴みで記事は始まる。
僕は、「頭の良い人とは”目が良い人”だ」と思うのです。
と、訳の分からない結論で、なんで?と思わせて、例を挙げて、説明を始める。
■東大生は「日常のあらゆるところ」で勉強している。
たとえば東大生の友達と街を歩いていると、「なんでコンビニはこんなに近接して立地しているんだろう?」「promiseは約束って意味の英単語だけど、それがどうして金融の会社の名前に使われているんだろう?」なんて具合に、日常のささいなことに疑問を持って、学びに活かせるような話をしています。と。
■日常のあらゆることに「質問」してみる
それは、「質問」です。いろいろな物事に疑問を持ち、その答えを探そうと常に考えれば、自然と「目が良くなる」のです。
■日常のあらゆることに「質問」してみる
「なんでここで間違えたんだろう?」と深く考えて、「これはきっと、この知識がなかったから解けなかったのだろう」「この問題形式に慣れてなかったからこういうミスをしてしまったんだろうな」などと、自分のミスを次に活かせるように分析しています。「間違いを分析する目」を普段から養う訓練をしていて、そのスキルが身についているということです。
なんか、納得したな。
ただ、これは、東大生の特徴とも思えない。
普通に、頭のいい人の特徴だな。 勉強の出来る人の特徴ではなくて。
なんで、この記事が心に響いたかと言うと、
■日常のあらゆることに「質問」してみる
だな。
これは、やらなくなったな。 昔からか。
昔は、疑問を何かで調べることはしていたと思うけど。
しかし、最近はネットで簡単に調べることが出来るからなあ。
自分で考えることは、余計にしなくなったな。
わからないことが多過ぎて、無力感に襲われるというのもある。
けど、自分が興味を持ったことだけでも、「質問」してみる、というのは大事かな。
「質問」してみて、「答え」を考えるなり調べるなりして、ブログに書くということも出来るんだし。