「猿楽と面」 ~面尽くし~ *MIHO MUSEUM

 MIHO MUSEUM 「猿楽と面」 ~ 大和・近江および白山の周辺から~ を3週間ぐらい前に見てきた。
もう終了しているが。

本展覧会は、興福寺や春日大社などに猿楽を奉仕した大和四座の本拠地大和、延暦寺や日吉大社などに猿楽を奉仕した近江、そして霊峰白山の参拝口である加賀馬場、越前馬場、美濃馬場の祭礼に使われた面(おもて)などを幅広く展観。
平安後期から鎌倉時代の古面に始まり、南北朝から室町、安土桃山時代の大成期にわたる350点(うち重要文化財80点)の「面(おもて)」を通して、中世の人々が熱狂した猿楽の世界を紐解いていく展覧会。

こんなに多くの面を見たのは初めて。
実に色々な面があった。
何か感じる物があればと思ったんだが。

★孫次郎(オモカゲ)

展示場の外に面の一覧写真が展示されていた。







[猿楽について]
猿楽(さるがく)とは、能と狂言で構成される現在の能楽のかつての呼び名。
猿楽の起源は、通説では大陸伝来の散楽(さんがく)に由来し、日本古来の芸能と融合しながら芸術的完成度の高い歌舞劇へと進化して、今に至ったとされています。
平安後期に書かれた藤原明衡(あきひら)(989-1066)の著作『新猿楽記』には、奇術、曲芸、歌や舞、人形劇、滑稽な物まね芸を伴う寸劇など、多種多様の演目が紹介され、当時の人気ぶりが伝えられています。
やがて田楽(でんがく)、傀儡(くぐつ)、猿楽などそれぞれが職業化していき、有力な猿楽師は大社寺に所属して座を形成し、祭礼や法会の儀式の一部や余興を担っていくようになりました。
田楽を含めた多くの座が人気を競い合い、また影響しあう中で、室町時代初期から足利将軍家や大社寺の庇護のもと、猿楽は隆盛を迎えました。

観阿弥(かんあみ)(1333-1384)は、大和猿楽の伝統である物まね芸(人の感情や行動を模す芸)に、当時流行の田楽や曲舞(くせまい)の諸要素を採り入れて人気を博しました。
その子世阿弥(ぜあみ)(1363?-1443)は、鑑賞者に上流貴族層を想定し、古典や戦記物に範をとり、洗練された夢幻(むげん)能(のう)(シテが超自然的な神、霊、精など)や、現在能(げんざいのう)(シテが実在した人物)を確立させ、歌舞劇としての能を大成させた。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
「関連コンテンツとスポンサーリンク」

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする