若冲ワンダーランド展を見にMIHO MUSEUMに行った(09/10/17)。2000年の若冲展以来、若冲の絵は、よく見ている。どんな絵をみせてくれるのか、興味が湧くのである。MIHO MUSEUMは、3度目であるが、まずまず人がいるのに驚いてしまう。こんな、山奥にわざわざ絵を見に来るなんて。それに、ここで働いている人の多さにも驚く。
「隠元豆図」、つるを境に右側の空間を少し墨で暗く塗り、左側を明るくしている、つるで画面を区切り、色面を構成しているのである。この発想が面白い。それによって、絵が美しくなっているわけでもないが、誰もやらないことをやるというのが、若冲である。「葡萄図」、左上から右下への葉と蔓の織りなす流れが、美しい。普通に美しい絵であるが、中央辺りの葉がスパッと切れているのが、摩訶不思議である。こういう風に、絵の中に違和感を感じさせる物を入れるのが、若冲なのである。その理由が知りたい。絵の美しさを損なうことを厭わない、それにはそれだけの理由があるはずである。それが知りたい。それが、若冲の絵を見たくなる理由の一つかもしれない。「雪中遊禽図」、美しい、近くで見ると、右の枝に前後する白とピンクの花が美しい。下の草の葉も美しい。この絵でも、違和感があるのだが。「松竹梅群鶴図」、鶴以外は、筆使いによる造形を楽しんでいる感がある。
プライスコレクションの「鳥獣花木図屏風」、このモザイク模様で描かれた絵には、2000年の若冲展で度肝を抜かれたものだ。今回は、冷静に見れる。ブログでこの絵の動物が生き生きとしていないという評を見ていたので、じっくりと見てみた。確かに、動物はいきいきとしていない。しかし、離れて見ると、万華鏡のような世界がいい。2000年の若冲展のカタログを引っ張り出してきて見ると、この時、「鳥獣花木図屏風」は、プライスコレクションと静岡県美のが2点出ていた。確かに、静岡県美の方がかなりいい。このかなり似ている2点を見比べると、プライスコレクションは、静岡県美の絵を見て描かれた模写ではないかと思ってしまう。そして、「石灯籠図屏風」、これは傑作である。中央の十分大きな金泥の余白、はるかに見晴らす山々の峰、石柵の斜めのライン、これらによる画面構成が美しい。石灯籠は、点描で描かれている。
さて新発見の「象と鯨図屏風」、スケールが大きい。中央の大きな余白がいい。構図が「石灯籠図屏風」に似ている。波も丸い凹凸で描かれ、シンプルな良さが出ていると思う。
本展の一番の収穫は、若冲の絵ではなく、池大雅の「蘇東坡孟嘉図屏風」であった。右隻は、麦わら帽をかぶった丸々と太ったおっさんが、満面の笑みを浮かべて、左手に歩いている。その右手には、梅の木、左手には、大きな木がある。左隻は、書生風の着物の男が後ろ姿に石に座っている。その右手には、松の木、左手には、唐子が遊んでいる。丸々と描かれ、にこやかに笑う男の姿が、春の穏やかさとすがすがしさを感じさせる。素晴らしい精神世界で、穏やかな世界である。孟嘉を調べて見ると、酒宴に招かれた孟嘉が風で帽子を飛ばされたにも関わらず、平然と酒を飲み続けたという故事。中国では、人前で帽子をとることは極めて恥ずかしいこととされていたため、この席を囲んだ者たちは、孟嘉を嘲る詩を作ったが、孟嘉は機知をもってこれに返した、という話である。太ったおっさんが孟嘉で、書生風の男が詩人の蘇東坡で、孟嘉が隠棲している山に旧知の蘇東坡を訪ねてきたという図であろう。恐らく、蘇東坡と孟嘉には歴史的につながりはないであろう。孟嘉も人の良い太ったおっさんではないであろう。しかし、大雅の想像力が、蘇東坡と孟嘉の精神を結びつけ、孟嘉を満面の笑みを浮かべた太ったおっさんにしてしまう。この絵から溢れる精神世界が素晴らしい。大雅の絵は、ちらほら見るが、まとめてみたいものだ。京博で回顧展をやってくれないかなあ。恐らく、日本で5本の指に入る画家であると思う。一番の可能性もなくはない。
「象と鯨図屏風」右隻
「象と鯨図屏風」左隻
与謝蕪村 「山水図屏風」右隻
与謝蕪村 「山水図屏風」左隻
コメント
はじめまして。
大雅の蘇東坡孟嘉図屏風」で検索したら、こちらにたどり着きました。
本当に圧巻の作品で、文人画の枠にはまらない大雅の画才に感服した次第。
仰るとおり回顧展を期待したいですね。