「縄文―いにしえの造形と意匠展」展   兵庫陶芸美術館  08/03/29

 「縄文―いにしえの造形と意匠」展を見に兵庫陶芸美術館に行った。三田西ICより15分ほどで着く、田舎にある美術館である。金がかかっていそうな立派な美術館で、また無駄遣いをしてとも思ったが、地元の特徴である陶芸に力を入れるということで、いいのかもしれない。
 さて、「縄文」展であるが、国宝2点、重文176点を含む縄文土器と土偶が展示されていたが、まあ面白かった。縄文土器がどういう変化をたどり、またどういう多様性を持っていたのか、概観することができたのではないかと思う。また、何点かが高い芸術性を持っていることに驚いた。縄文土器の基本は、深鉢形土器であるが、初期のものは、底がとがっている。これでは、地面に立たないのでどうするのかと思っていたが、薪を燃やし、そこに土器を突き立てて、調理をしていたらしい。なるほど合理的である。中期になると、形に個性的な物が多く現われ、我々の感覚では、異形の物ともいうべき形や文様が現われてくる。国宝の火焔型土器は、縁の火焔のような突起が眼を惹き、そのゴテゴテ感に戸惑ってしまう。これは、一体何なのだろう。原始の燃え上がるようなエネルギーを象徴しているのだと言うと、格好がいいが、どうも胡散臭い。生で見て、そういう感じは受けなかった。中国の古代の殷周時代の青銅器や三星堆の青銅器にも、異様にゴテゴテした文様が見られる。執拗なまでに描き込まれた文様は、何か宗教的なものと関わっているのかもしれない。または、何か大きな不安があり、土器を文様で埋めずにはいられなかったのか?しかとしたものは感じ取れなかったが。No.19の中期の深鉢形土器では、渦巻き文様が交互に入れ組んでおり、知性的な美しさがあった。No.45の中期の深鉢形土器は、とても美しかった。今展、一番かもしれない。非対称な大きさの美しい取手が付いている。そして、なめらかな肌、縄目と無地の部分が等価に渦巻きを形成し、高い芸術性を感じる。後期になるとNo.78の注口土器のような土器が現われる。非常に洗練された形と線の文様で、現代の急須となんら変わらない。こういう物が縄文時代にあったのかと驚く一方で、縄文を感じさせなくなり、面白くないということになってしまう。展示場の所々に解説のパネルが掛かっていたが、その一つに男女で仕事が分かれており、土器作りは、主に女性の仕事だったのではないかという推察が書かれていた。この説はどうだろう。これらの土器に女性的なものは、感じなかった。わかりやすい例で言えば、あの火焔型土器の形は、女性の発想ではないと思うのだが。
 さて、最後の部屋に土偶が置かれていた。かの有名な亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶があった。その大きすぎる眼と不思議な衣装と異様な体型から宇宙人説があるくらい不思議な土偶である。偶々、学芸員による解説をやっていたのだが、最初は、所有の東京国立博物館に頼んでも断られていたのだが、熱心に頼んでいるとやっと了解してくれたという話をしていた。一方で、縄文のビーナスと呼ばれる国宝の土偶は、所有者が貸してくれなかったらしい。この遮光器土偶には、まず驚いてしまうが、生で見ていると、美しいとも思った。頭には冠のような物を被り、乳房もあり、豪華な衣装を着ていることから、シャーマンなのではないかと思う。また、膨らんだ腕や足が手先や足先で細くなるのは、そういう衣装をシャーマンが着ていたからなのではないかなあ。最大の謎は、その異様に大きい眼なのだが、縄文人には、顔の中で眼に一番人間の力を感じていたのではないかと思う。特にシャーマンには眼力があり、その強い印象が大きな眼として表現されることに繋がったのではないかと思う。けれども瞳まで大きく描くとあまりに異様になるので、横線として表現されたのではないかと。ちょっと無理があるかなあ。シャーマンがめがねのような物を着けていたという方が妥当かもしれないが。しかし色々と想像を膨らましていくのが面白い。
 さて、今展で一番強く惹かれたのが、No.126の土面である。先ほどの遮光器土偶と同様、大きな眼に、横線の瞳、小さな鼻に、おちょぼ口、そして頬にイレズミ文様がある。これを一目見たとき、非常に静謐な印象を受け、デスマスクだなと思った。こちらの心をも静かにさせるような力があった。傑作と言えよう。
 写真は、亀ヶ岡遺跡の「遮光器土偶」。
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