大阪に55年ぶりに、万博がやって来る。

 2025年国際博覧会(万博)が大阪市で開催されることが決まった。
大阪住民としては、嬉しいことだ。
「日本維新の会」の悲願でもあるしね。

 事務局の総会で加盟国(170カ国)の代表による投票が行われた。
日本のほか、ロシア(エカテリンブルク)とアゼルバイジャン(バクー)が立候補。
初回の投票でどの国も投票総数の3分の2に届かなければ、上位2カ国で決選投票になる仕組み。
初回の投票で日本は85票、48票のロシアと23票のアゼルバイジャンを上回った。
ロシアとの決選投票では日本が92票を獲得。ロシアは61票だった。

 大阪万博は25年5月3日~11月3日に開催。大阪市湾岸部の人工島「夢洲(ゆめしま)」が会場で、テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。
愛知万博を約600万人上回る2800万人の来場を見込んでいる。
ちなみに、1970年の大阪万博の最終的な総入場者数は約6,421万人だった。

過去の日本での万博は5回もある。
1、日本万国博覧会(1970年) 場所:大阪千里丘陵、 テーマ :人類の進歩と調和
2、沖縄海洋博覧会(1975年) 場所:沖縄、 テーマ :海-その望ましい未来
3、国際科学技術博覧会(1985年) 場所:筑波研究学園都市、 テーマ :人間・住居・環境と科学技術
4、国際花と緑の博覧会(1990年) 場所:大阪鶴見緑地、 テーマ :自然と人間との共生
5、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)(2005年) 場所:愛知青少年公園、  テーマ :自然の叡智

もう万博のありがたみもないけどなあ。
大阪鶴見緑地の「花と緑の博覧会」も行かなかったし。

 1970年の大阪万博は見に行った。
子供の頃だけど、あまり覚えていない。
覚えているのは、富士グループ・パビリオンのこの建物のフォルム。

当時としては斬新で、記憶に残った。
あと覚えているのは、売店で若いお姉さん相手に俺「おばちゃん、ありがとう」母「お姉ちゃんでしょ」と怒られたことだ。
こんなことが、いつまでも記憶に残っているのだから、俺もマイナス思考の人間かもしれない。

 大阪万博は、アメリカ館の「月の石」が超有名だったけど、あまりの混雑で見に行っていない。
自分的には何と言っても「太陽の塔」が一番凄い。


今でも、中央環状線を車で走っていると、太陽の塔が目に入って来る。
その存在感。 50年近く経っても色褪せていない。
岡本太郎がTVのCMで「芸術は爆発だあ~」と言っているのを見て、何じゃこいつは、と思っていたけれど、この作品は一世一代の作品だと思う。
そして、その動機も面白い。
岡本は万博のテーマである「人類の進歩と調和」に反発していた。人類は進歩なんてしてねえし、調和なんてしゃらくせえと思っていたからだ。
そして、丹下健三が設計した「お祭り広場」の銀色のトラスで構築された大屋根の洗練された姿を見て、むくむくと反抗心が起こり、こいつを突き破ってやれと、太陽の塔が大屋根から塔の上半分がつき出す形で建てられた。
その気概がいいよねえ。
丹下健三もよく許したと思う。

 さて、テーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」も、しゃらくせえという感じだが、案外面白いんじゃないかと思っている。
ミラノ国際博覧会 (2015年)は、「食」がテーマだったが、その時の日本館が凄かったらしい。
「日本館の総来場者数は228万人に達し、同博来場者の約1割が日本館を訪れた計算になる。
高い人気は長蛇の列になり、9時間待ちの日もあり「行列嫌いのイタリア人を並ばせた」と地元メディアでも話題になった。イタリア新聞社のアンケートでも「一番素晴らしいパビリオン」「万博を見た後で訪れてみたい国」の1位に選ばれるなど高い評価を受けた。」
TVで紹介されていたのを見たけど、とても面白そうだった。
科学技術の最先端を見れるという意味でとても期待出来そう。
松井知事も本気で取り組みそうだからね。 本気で取り組んだら、面白い物になるよ。

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