京都国立近代美術館に「福田平八郎展」を見に行った。NHKの日曜美術館を見て、こんなシンプルないい日本画を描く人がいるのかと思い見に行きたいと思っていた。若冲展を見て疲れていたが、今日行かないと機会がなさそうだと思い、その足で京都国立近代美術館に行った。
初期の絵は、まあまあという感じで、写生を重んじているという印象だ。良いのは、シンプルな絵を描き出してからだ。漣、竹、筍、雨、新雪、これらの作品は本当に素晴らしい。それぞれ、波紋、竹の幹、筍、瓦、雪をかぶった庭石が絶妙の配置で置かれている。モチーフはそれだけだ。これだけシンプルだと、単純すぎてつまらなくなる恐れがある。しかし、形や色や地肌の微妙な違いで、絵に深い味わいを持たせる。シンプルさが強い印象を残し、微妙なバリエーションが見る者を飽きさせない。これこそ福田平八郎が見つけ深めた世界だと言える。こういう日本画は他にないのだ。福田平八郎は、この時自分の画業でひとつの頂を登りつめたように思う。しかし、この後の絵が、つまらない。あれほど素晴らしい絵を描いたのに、どうしてこうなるのか。画家というのは、本当に恐ろしい世界にいると思う。靉光や平八郎のように素晴らしい絵を描ける境地にやっと辿り着いたのに、晩年つまらない絵をかくようになってしまう。その一方で、田中一村のように決死の覚悟で奄美に渡って、素晴らしい絵を描きそのまま亡くなってしまう人もいるのだが。