カラバッジオの「聖ヨハネ」 バッティステッロ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」
京都国立近代美術館でボルゲーゼ美術館展を見た(09/12/26)。イタリアの美術館で、ルネサンスとバロック絵画を見ることができた。ラファエロの絵が来るということで、如何にも名品がたくさん来ていそうな感じだが、見るべき作品は少なかった。
ウェンブリアの画家による「聖セバスティアン」、上半身裸の男に矢がささっている絵であるが、つるっとした絵肌で妙に雰囲気が出ている。ボッティチェリの聖母子、特有の面長の顔で、一目ボッティチェリとわかるが、イマイチである。そして、ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」、顔が田舎娘のようで、ラファエロの優美さがあまり感じられない絵である。解説には、初めラファエロの絵だと思われてなくて、ある学者がラファエロの絵だと唱え、修復してみると、塗りつぶされた下から一角獣があらわれたという逸話が書かれていて、なるほどと感心したが、よく考えてみると、普通の人が見れば、素晴らしいラファエロではないということだろう。
次の間から、ヴェネチア派の絵が並んでいたが、ことごとく気に入らない。心のない絵である。バッサーノの「三位一体」、磔刑のキリストを降ろす絵であるが、これが素晴らしかった。全体的に美しくて、粗いタッチで描かれた風景が荒涼とした背景感を出している。
そして、いよいよカラバッジオの間、最初に「この人を見よ」という絵であるが、白い腰巻の質感が素晴らしい。カラバッジオの腕かとも思ったが、どうも伝わってくるものがない。作者を見ると、ペリオーネだった。その隣が、カラバッジオの「聖ヨハネ」だった。圧倒的リアリズムである。一人の小汚い羊飼いの少年が描かれており、聖人らしさはない。しかし、ただ小汚いだけではなく、圧倒的存在感がある。俺は、想像で人は描かない。生身の人間を描くのだという強烈な主張が感じられる。傑作である。解説では、カラバッジオが逃避行の際に描いた絵だと言う。その隣に「ゴリアテの首を持つダヴィデ」、切られた首が、切られる直前の表情のままで、さすがカラバッジオと思っていたら、カラバッジオ派のバッティステッロという画家の絵でちょっと驚いた。