今のユダヤ人は、「昔のユダヤ王国」の末裔ではなかった。

 パレスチナ自治区ガザで14日、在イスラエル米大使館のエルサレム移転などに抗議するデモ隊にイスラエル軍が発砲し、死者58名、負傷者2771名を出す事態が起こった。
酷いことするなあ、と思っていたら、思いがけない記事を見た。
ネットの世界は凄いなあ。 こんな記事に出くわすんだから。

 ユダヤ人の歴史は、
旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウル(現在のイラク南部)から部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされる。ヘブライ人と呼ばれた彼らは、紀元前17世紀頃、カナンの地から古代エジプトに集団移住、古代エジプトの地で奴隷とされた。
その後、エジプト第19王朝の時代に、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(出エジプト)。彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人やペリシテ人を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。
紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国した。その後、ユダヤ人は、ダビデ王の時代に隆盛を誇る。
紀元前587年に新バビロニアの侵攻に会い滅亡して、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。
新バビロニア王国が滅亡すると、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として復興された。
ペルシア帝国滅亡後、ローマ帝国領のユダヤ属州とされるが、ローマ帝国に対し反乱を起こし、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。 その結果、多くのユダヤ人がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散した。
以降ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラム教徒として同化し、いわゆる現在のパレスチナ人になったと考えられる。
(参照Wikipedia)これが良く知られている歴史。

 驚いたのは、
世界中の「ユダヤ人」の約90%は血統的に見ると、もともと、かつてのユダヤ王国起源、つまり、「モーゼに率いられてエジプトを出たユダヤの民」の末裔ではないのだ。大部分は、ユダヤ教に国ごと改宗したタタール系民族で、南ロシアに7世紀から10世紀にかけて周辺諸民族を帝国支配下に置いていたハザール(英語で「Khazar」、カザールとも記す)王国起源なのである、
という話。
ハンガリー生まれのユダヤ人、アーサー・ケストラーが著わした『第十三支族・ハザール帝国とその末裔』がこの話の起源だそうだ。
(リンクは貼らないけど、ユダヤ人 人種の起源 でググってみてください)

 こんな嘘臭い話と思うが、よくよく考えてみると、あり得る話なのである。
現在のユダヤ人の見かけは明らかに白人である。
モーゼの末裔なら、現在の中東人のように浅黒い肌であるはずだ。
ヨーロッパに離散して、混血化したとしても、白すぎる。
ユダヤ人の迫害は、ロシア革命の時からあった。 ロシアに多くのユダヤ人が住んでいたことが意外だったが、南ロシアのタタール系民族ということなら、納得できる。
そういうことかと、すとんと来る話。

 これが本当の話となると、どういうことになるのか。
モーゼの末裔が含まれるパレスチナ人が、モーゼの末裔でもなんでもないタタール系民族に土地を奪われ、弾圧されているということになる。
全く逆の話になるし、エジプトの地で奴隷・バビロン捕囚・ローマ帝国からの弾圧という悲劇の歴史の人々だからイスラエルの建国もしょうがないかな、という同情もなくなることになる。
これは、凄い話だ。
なんか、タブー的な話になっているみたいだし。

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