京都国立近代美術館で 「没後50年 藤田嗣治」展を見てきた。
パリで活躍した画家、藤田嗣治(1886–1968)の没後50年を記念する大回顧展。
2016年に兵庫県立美術館で生誕130年記念「藤田嗣治」展を見てるので、どうかなと思ったけど、まあ見ようかと。
オーソドックスに時代順に並んでいる。
若い頃のパリ風景が好きだ。
★ 藤田嗣治「私の部屋、目覚まし時計のある静物」
これが、藤田誕生の絵。
本展ベストの絵だった。
そこに白い壁があるような、凄い質感。 この絵には見惚れたなあ。
藤田と言えば、「乳白色の裸婦」。
もう見慣れたからなあ。
フジタは、北米・中南米・アジアと旅をして人物の絵を描いている。
どの絵も違和感を感じる。
何でだろうなあ?と思っていると、皆見えを切っているみたいなのだ。
それが、わざとらしさを感じる。
彼らの生活感を描きたかったのだろうが、自然さが消えてしまっている。
これが、パリの影響なんだろうなあ。
戦争中に小さな自画像を描いている。
何とも暗い絵だ。 しかし、どの絵よりも本物の絵だと思った。
フジタの戦争画では、「アッツ島玉砕」が有名だが、嘘臭い絵だ。
そんな絵より「キャンボジャ平原」と「嵐」という二つの絵に惹かれた。
何のことはない戦地のただの風景画だ。
風景だけ。 しかし、これらこそ本物の絵と感じた。
フジタは、なんの衒いもなく描いた風景画が一番だと思うんだけどなあ。
もっとも、それならフジタの個性がなくなってしまうんだろうが。
晩年は、変な少女趣味の絵やキリスト関係の絵を描くようになる。
2年前の回顧展と今回の回顧展で、フジタはもう十分見たという思いだ。