神奈川県立歴史博物館の「没後100年 五姓田義松」展の感想の続きです。
前回までは、第一章の鉛筆画・水彩画、第二章の油彩画のコーナーについて。
今回は、第三章の家族/自画像について。
このコーナーが一番興味深かった。
五姓田の油絵で特別に評価されているのが、この2点のようだ。
五姓田一家之図。
自分には、それほどいいとは思えなかった。
亡くなる直前の母を描いた、1875(明治8)年、20歳の作品。
TVで初めて見た時、これは表現主義の絵だと思って(山下裕二さんが言う前です)、度肝を抜かれたが、今回生で見てもそう思った。
顔に老いや病を示す茶色の線が描かれ、そしてその茶色が広がって、腕や着物や枕に縁取られた茶色の線となっていく。
義松の不安や心配の念が、茶色の線となって、描く物を縁取っていく。
そう感じた。
これは、母親に対する想いが溢れて、母親を表現しようとすると、自然とこういう表現になった
、という奇跡的な出来事であって、スタイルとしての表現主義ではない。
自然に発生した表現主義、まさに表現主義の萌芽だったと思う。
義松が、これこそ油絵と思って、これを続けていたら、凄い事になっていただろうね。
表現主義は、20世紀初頭にドイツにおいて生まれた芸術運動であるドイツ表現主義が最初。
その100年以上前に日本で生まれていたということになるから。
まあ、日本の洋画黎明期に、これこそ「新しい油絵」とはなかなか思えないだろうなあ。
学ぶ気持ちが強かっただろうから。
あと、20歳で描いていたというのも驚異。
ただ、20歳だからこそ、とも言えるかもしれない。
他にも、家族や自分を描いた絵でいいのが多かった。
「五姓田芳柳像」(1880):気迫のこもった父の顔。
「婦人像」(1874):元気な頃の母親を想像して描いた絵。
「自画像(十三歳)」(1868):ちょっと薄汚れているが、気骨ある少年の顔。
ちょっと岸田劉生の画を思い浮かべてしまう。
「自画像」(1877):凛とした自画像。
そして、最後に紹介したいのが、
「六面相」という、どんな顔でも描きとってやろうという意気込みで描かれた、自分で面白い顔をして、描いた絵である。
どれも面白いし、迫真だ。
葛飾北斎の森羅万象なんでも描いてやるという「北斎漫画」を連想してしまう。
それにしても、謎の画家だ。
ただ思ったのは、義松の傑作は暗い色の絵ばかりだということだ。
それに鉛筆画に水彩画だ。
恐らく、色彩感覚が良くなかったのではないかと、推察する。
洋画の大きな特徴は色の美しさだから、後世に残ることにならなかったのでは、ないかな。
それにしても、惜しいなあ。
まあそれでも洋画黎明期の優れた画家として、「五姓田義松」「高橋由一」の2大巨頭ということになるんじゃないかな。
今まで、色々な展覧会を見てきた印象では、新の洋画家が誕生するのは、藤島武二が最初だと思うのだが、どうだろう。
黒田清輝よりずっといいと思うのだが。