京都国立博物館で、「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を見てきた。
36人の優れた和歌の詠み人「歌仙」を描く、鎌倉時代の名品《佐竹本三十六歌仙絵》。かつて2 巻の絵巻物だった作品は、大正8年(1919)に一歌仙ずつ分割され、 別々の所有者のもとに秘蔵されてきたが、それから100年を迎えるのを機に、 展覧会としては過去最大となる31 件を公開する展覧会。
歌仙絵にちなんだ絵や書などの展示から始まる。
そして、いよいよ《佐竹本三十六歌仙絵》の展示。
絵は小さい。
元は、絵巻物だから手元に置いて見るものだ。
だから、離れてガラス越に見るのは、見にくい。
単眼鏡を持ってきていたので、それで見る。
しかし、絵を味わうのは難しい。
絵としても、心惹かれない。
大した事ないなと思う。
言わば、背景がない肖像画なので、素気がない。
背景が無地の肖像画なんて誰も描かないことから類推されるだろう。
和歌の内容にちなんだ表情を描いている所が凄いと評されているが、そうなんですか、という感じだ。
★《佐竹本三十六歌仙絵》 小大君
黒装束の男が多いので、この華やかな衣装の女性は見栄えがする。
それでも、ポツンとこの女性が描かれているから、つまらない。
全体像とこの部分図のポストカードがあったが、この部分図の方が見栄えがするので、こちらを買った。
三十六歌仙絵の最高傑作とのことで、その歴史的意義の下で重文に指定されているけど、絵としてはどうかな?という感じだ。
かつて2 巻の絵巻物だった作品が、大正8年(1919)に一歌仙ずつ分割された。
売りに出された時、あまりに高価で買い手が着かず、海外流出の恐れさえあった。
それを危惧した古美術商たちが、当時の経済界の中心人物にして「千利休せんのりきゅう以来の大茶人」と呼ばれた益田孝に話を持ち込み、《佐竹本三十六歌仙絵》を分割し、共同で購入することを決定する。呼び掛けに応じて集まった財界人や古美術商たちは、それぞれ抽選くじを引いて、自身の購入する歌仙絵を割り当てられることになった。
この絵巻物を裁断するという行為は賛否両論あるだろう。
これが、物語の絵巻だったら、言語道断、激怒したことだろう。
しかし、この三十六歌仙絵なら、裁断しても、それはそれで良かったと思う。
勿論裁断しない方がいいんだが。
まず、絵として、さほどの傑作とは思えない。
36人の歌仙達がその和歌と共に並んでいる絵巻物よりは、1人1枚の掛け軸の方が見栄えがいいと思う。
そして、それが、当時の財界人で趣味人達の茶会で飾られたというのは、そちらの方が有意義だったと思う。
絵巻物として残っていた方が、歴史的価値は高いんだが。
当時の金持ちたちが楽しんだだけで、我々一般国民は関係ないじゃないかと言われれば、それまでだが。
あまり見るべきものがなかった展覧会だったかな。
一番心惹かれたのが、1階に展示されていた地蔵菩薩立像だった。
常念寺の鎌倉時代の立像。
凛とした佇まいで、厳しい修行を経てきた人だなと感じさせる。
こちらに身の引き締まる思いをさせる力がある。
象嵌の眼がキラリと光っているのが、眼光鋭くこちらを見ている感じにさせる。