「絵画の冒険者 暁斎 Kyosai」展を見に京都国立博物館に行った。‘00の若冲、雪舟、蕭白、永徳に続く一連の日本の実力画家シリーズである。良かったのは良かったのだが、さすがに前の四人に比べると、ぐっと落ちる。
入って左手に「九相図下絵」があった。様々な死体が野原に転がっているデッサンである。腐敗初期に見られる死体が膨らむ様なども描かれていて、実際に見たに違いないと思わせるリアリティがあり、まずこの画家はイケルかもしれないと思った。その隣に「九相図」本画があったが、色が塗られると、平板になってしまい良くない。「狂斎」時代の作品には、特別のものはなかった。
次は、冥界・異界・鬼神・幽霊のコーナー。No40の「幽霊図」は、迫真の幽霊で一番幽霊らしい幽霊かもしれない。この中で一番気になったのは、「処刑場跡描絵羽織」である。裏は、血まみれになった女性が磔けられている。また、吊るし首の男の首が折れて伸びきってしまっている。妙にリアルである。表は、同じく女性が磔けられているが、あそこに男の打ち首が押し付けられている。無惨な絵である。この時期、無惨絵が流行ったらしく、注文で描いたそうだが、この画家にもこういう絵が描けるイマジネーションがあったということであろう。
次に本画と下絵のコーナー、「山姥図」と「郭子儀図」の本画と下絵が眼を惹く。「山姥図」は本画が、「郭子儀図」は下絵が良かったが、「郭子儀図」の下絵の子供たちの丸みが、線が踊っているというか生き生きとしているところが絶品である。少女たつへの鎮魂歌のコーナー、「地獄極楽めぐり図」は、田鶴(たつ)という14歳の若さで世を去ったパトロンの娘の追善供養のために制作された画帖である。田鶴の臨終の場面から、阿弥陀三尊に迎えられ、阿弥陀三尊の案内で地獄を巡り、極楽を巡る。阿弥陀三尊の案内という趣向が面白いし、地獄で施しをしたり、極楽で現世のように楽しむ。悲しむ親には、いい慰みであろうが、絵としては、それほどではなかった。「新富座妖怪引幕」、これが本展で2番目に図抜けて良かった。役者たちを妖怪に見立てて描いているのだが、妖怪らしいし、役者の特徴を実に良く捕らえているような感じがするし、ユーモアがある。引幕なので幅が17mもあり、迫力がある。一気呵成に描かれたような勢いがありながら、実に絵として全体のバランスもとれていて、素晴らしい。これを4時間で書き上げたのが信じられない。
「眠龍図」、「横たわる美人と猫」、「牛若丸図」と時々まあいいなあという絵があったが、「牛若丸図」を見ていて、ま近で丹精に描きこまれた衣装を見ていて素晴らしいなあと思うのだが、離れて見ると、あまり良くない。イマイチ満足できないのは、これだなと思った。暁斎は、近くで見るとなかなか良いのだが、離れて絵の全体を見ると、イマイチなのである。これでは、大画家とは言えない。不当に忘れられた画家とは言えないなと思った。
最後の部屋に「大和美人図屏風」があった。これは、文句なく素晴らしかった。近くで見ると、衣装に多彩なデザインが施されていて、それが実に美しい。隅々まで疎かにされず、神経が行き届いている。そして、何より、右の女性の凛とした立ち姿が美しい。じっと見ていて、桃山の頃の風俗美人画と並べても見劣りしないんじゃないかと思った。TVで知ったのだが、この絵は、明治のお雇いイギリス人建築家コンドルのために描いた絵だそうだ。自身芸術家でもあるコンドルが、暁斎に惚れ込み、弟子になった。彼の修行の上の上達への褒美として、暁斎が描いた絵だそうである。コンドルは、一緒に日光に旅したり、暁斎の死を見取ったそうであるから、相当な師弟愛で結ばれていたようである。暁斎は、外人であるコンドルに、これぞ日本の美であるという絵を描いたのだと思う。精魂を込めて。外人、同じ芸術家、愛する弟子という要素が重なって、この絵が生まれたのだと思う。これまでの絵とこの絵を見ていて、暁斎は、色々な絵を書き散らしすぎて、その才能を浪費してしまったのかも知れない。魂をこめて描くという機会がなかったのかも知れない。寺社の襖絵というような。この絵がなければ、暁斎はつまらない。この絵があってこそという絵である。この絵は、コンドルがいたからこそという絵なので、明治という時代を感じさせる絵でもある。
写真は、「新富座妖怪引幕」の部分。