わざわざ、神奈川県立歴史博物館に「没後100年 五姓田義松」展を見に行った。
大阪から絵を見るために、わざわざ遠方に出かけるのは、2007年の静岡県立美術館での「石田徹也−悲しみのキャンバス」展以来だ。
NHKの日曜美術館で紹介されているのを見て、衝撃を受けた。
抜群の写実力に感銘を受けたが、それ以上に「老母図」に衝撃を受けたのだ。
幕末に生まれながら、表現主義と言っても過言でない絵を描いていたのだから。
これは、是非ともその秘密を知らねば、と
JR桜木町駅で降りて、馬車道に向かって歩いていると、かまぼこ型のヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテルと観覧車が見える。
橋を渡って、しばらく行くと、
ここが、神奈川県立歴史博物館。
五姓田義松は、1855年・安政2年に江戸に生まれる。
父も、洋画家。 それも凄い稀な話だけど。
だからだろうか、1865年、チャールズ・ワーグマンに師事する。
チャールズ・ワーグマンは幕末期に記者として来日していたイギリス人の画家・漫画家、その風刺漫画は、歴史の教科書でよく見たもんだ。
家族で工房をやっていて、わずか、10歳で師事。
小さい頃から洋画に染まる環境にいたことがわかる。
1876年に、アントニオ・フォンタネージに師事したこともあるらしい。
1877年に、第1回内国勧業博覧会の洋画部門で、鳳紋賞を受賞。
1878年より明治天皇の御付画家として北陸・東海地方の行幸に同行した。
1880年に渡仏し、日本人初のサロン・ド・パリ入選作家となる。
これは、「鮭」の絵で有名な高橋 由一(1828-1894)、黒田清輝(1866-1924)より優れた業績。
まあ、業績など、どうでもいいが、なぜ埋もれてしまっていたんだろうというような業績だ。
サロンに入選してるんだから。
さて、展覧会だけど、まず第一章として鉛筆画・水彩画のコーナー。
江戸の香りが残る明治の風景や風俗が描かれた鉛筆画・水彩画や多量に展示されていた。
正確な写実だけでなく、きちんと雰囲気も捉えられている。
こういう絵をたくさん見てる内に、胸を締め付けられるような感動に襲われた。
そこには、今は失われた古き懐かしき日本の風景が描かれていたから。
それも見事な写生の力で。
浮世絵師は、デフォルメしてるし、写真はそのままを映し出しているだけ。
本物の画家が、画家の感性を載せて写実的に描いたこの時代の絵は、ないのだ。
そういう絵が見られた。
本当は、展覧会の絵から厳選して紹介したいのだが、今回の画集が売り切れていて、買えなかった。
それが、実に残念。
この多量の風景画や風俗画は、手元に持っていたかった。
売り切れたのは、古き懐かしき日本の風景に感動した人が多かったからだろう。
上の絵は、ネットで拾ってきた。
風俗画のいいのは、見つからなかった。
彼の写実力が最も発揮されていたのは、「園田御令嬢肖像」だろう。
これをぱっと見た時、写真が飾られてると思った。
しかし、紙にコンテで描いた物だったのだ。
これには、驚いた。
勿論、優れた写実力だけで、優れた画家とは言えない。
けど、この写実力で、本物の画家の資質があるということがわかる。
その写実力で、古き懐かしき日本の姿を存分に味わえた、第一章だった。
第二章の油彩画について。
第三章が家族/自画像なので、それ以外の油彩画について。
油彩画は、がっかりした。
第一章の鉛筆画・水彩画が良かっただけに。
富士山が描かれた油絵が多かったのだが、どれも良くない。
絵ハガキみたいな絵になってるんだなあ。
なぜ、こうなるのかと今考えていると、色を扱う能力が低いのかも知れないと、思った。
水彩の淡い色彩を扱うのはうまいのだが、どぎつい油彩の色使いが下手なのだ。多分。
というか、原色をあまり使っていない。
しかし、肖像画に見るべき絵があった。
「浅田夫妻像」
とてもシックな肖像画。
欧州に負けないレベル。 これには驚いた。
芯の強そうな、愛想のなさそうな妻、頑固そうな親爺、性格も感じ取れる肖像画。
バックの処理も見事だし。
第二章の油彩画のコーナーでは、イマイチな油彩画が多くて、がっかりしていた。
フランスから帰国してなぜダメになったんだろうと思いながら、絵をみていたら、「浅田夫妻像」のような傑作に出会う。
なぜ、こういうことになるのか、不思議だ。
洋画黎明期の悲劇なのか?
黒田清輝も晩年になってやっと油彩画らしい油彩画を描くようになったからなあ(こちら)。
第三章の家族/自画像について。
このコーナーが一番興味深かった。
五姓田の油絵で特別に評価されているのが、この2点のようだ。
「五姓田一家之図」。
自分には、それほどいいとは思えなかった。
亡くなる直前の母を描いた、1875(明治8)年、20歳の作品。
TVで初めて見た時、これは表現主義の絵だと思って(山下裕二さんが言う前です)、度肝を抜かれたが、今回生で見てもそう思った。
顔に老いや病を示す茶色の線が描かれ、そしてその茶色が広がって、腕や着物や枕に縁取られた茶色の線となっていく。
義松の不安や心配の念が、茶色の線となって、描く物を縁取っていく。
そう感じた。
これは、母親に対する想いが溢れて、母親を表現しようとすると、自然とこういう表現になった
、という奇跡的な出来事であって、スタイルとしての表現主義ではない。
自然に発生した表現主義、まさに表現主義の萌芽だったと思う。
義松が、これこそ油絵と思って、これを続けていたら、凄い事になっていただろうね。
表現主義は、20世紀初頭にドイツにおいて生まれた芸術運動であるドイツ表現主義が最初。
その100年以上前に日本で生まれていたということになるから。
まあ、日本の洋画黎明期に、これこそ「新しい油絵」とはなかなか思えないだろうなあ。
学ぶ気持ちが強かっただろうから。
あと、20歳で描いていたというのも驚異。
ただ、20歳だからこそ、とも言えるかもしれない。
他にも、家族や自分を描いた絵でいいのが多かった。
「五姓田芳柳像」(1880):気迫のこもった父の顔。
「婦人像」(1874):元気な頃の母親を想像して描いた絵。
「自画像(十三歳)」(1868):ちょっと薄汚れているが、気骨ある少年の顔。
ちょっと岸田劉生の画を思い浮かべてしまう。
「自画像」(1877):凛とした自画像。
そして、最後に紹介したいのが、
「六面相」という、自分で面白い顔をして、描いた絵。
どんな顔でも描きとってやろうという意気込みを感じる。
どれも面白いし、迫真だ。
葛飾北斎の森羅万象なんでも描いてやるという「北斎漫画」を連想してしまう。
それにしても、謎の画家だ。
ただ思ったのは、義松の傑作は暗い色の絵ばかりだということだ。
それに鉛筆画に水彩画だ。
恐らく、色彩感覚が良くなかったのではないかと、推察する。
洋画の大きな特徴は色の美しさだから、後世に残ることにならなかったのでは、ないかな。
それにしても、惜しいなあ。
まあそれでも洋画黎明期の優れた画家として、「五姓田義松」「高橋由一」の2大巨頭ということになるんじゃないかな。 そした、「高橋由一」よりいい。
今まで、色々な展覧会を見てきた印象では、真の洋画家が誕生するのは、藤島武二が最初だと思うのだが、どうだろう。
黒田清輝よりずっといいと思うのだが。