コロナウィルスは、スペイン風邪の場合が参考になる。

 たかじんのそこまで言って委員会で、令和2年の社会が昭和2年の時と似ているという話をしていて、当時スペイン風邪が流行ったという話をしていた。
気になったので、調べてみた。

スペイン風邪は、1918年から1919年にかけ全世界的に大流行したインフルエンザの通称である。
流行源はアメリカ合衆国であるが、感染情報の初出がスペインであったため、この名で呼ばれる。
感染者5億人、死者5,000万~1億人(人口の2.6~5.3%)と、爆発的に流行した。
当時の世界人口は18~20億人であると推定されているため、全人類の3割近くが感染、感染者の致死率は10~20%だった。
感染者が最も多かった高齢者では基本的にほとんどが生き残った一方で、青年層では大量の死者が出ている。
大日本帝国では、当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡し(人口の0.7%)、アメリカでも50万人が死亡した(人口の0.5%)。

流行の経緯としては、第1波は1918年3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり、第一次大戦でアメリカ軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5~6月にヨーロッパで流行した。
第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり重篤な合併症を起こし死者が急増した。
第3波は1919年春から秋にかけて、世界で流行した。さらに、最初に医師・看護師の感染者が多く医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。

日本各地で猛威を振るったスペイン風邪は、1920年が過ぎると自然に鎮静化した。なぜか?それは内務省や自治体の方針が有効だったから、というよりも、スペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスが、日本の隅々にまで拡大し、もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからだ。そしてスペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したからである。
つまり、スペイン風邪は突然の嵐のように世界と日本を襲い、そして自然に去っていったというのが実際のところなのである。

これは、参考になるよね。
スペイン風邪は感染性が強く、治療法がなかったから、結局全世界に広まって、自然消滅した。
武漢ウィルスも、感染性が強く、治療法がないから、同じようになりうるということか。
武漢ウィルスは、2/26現在で、感染者80980人、死者2762で、致死率3.4%。 
スペイン風邪なみだ。

政府が、行事の自粛の要請と来月2日から全国すべての小中高校で、春休みに入るまで臨時休校とするよう要請する考えを示した。
今、この図が出回っている。

市長の対応の差で、死者数に差がついている。
(念のため、積分計算してみた。
フィラデルフィアは、ピークが高いが短期間で、セントルイスはピークは低いが長期間だから。
単純に、1週間ごとの死傷者数を合計すると、フィラデルフィアが4万人、セントルイスが1.9万人になった。
フィラデルフィアが、セントルイスの2.1倍になった。
確かな差があるが、思ったより大きな差ではないな。)

早期の集まる行事や場所の中止・閉鎖で、流行のピークを遅らせるだけでなく、ピークを抑えることが出来たんだね。
これは、説得力のあるデータ。
流行のピークを遅らせるだけのイメージがあったけど、総数も減るんだね。
ただ、期間が3カ月間もある。
1月から考えるのか、これから考えるのかで異なるけど、3月末か5月末までは、この事態は続くんだろうね。 最低でも。

臨時休校するぐらいなら、中国・韓国からの入国制限もして欲しいね、とっとと。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
「関連コンテンツとスポンサーリンク」

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする