「羽生善治が語る仕事」が、含蓄ありすぎ。

 羽生善治竜王が若かりし頃、仕事についてのインタビューされた記事が紹介されていた。

羽生善治が語る仕事―1
羽生善治が語る仕事―2
羽生善治が語る仕事―3
羽生善治が語る仕事―4

1~3は、どのように将棋と取り組んできたかという話。

「20歳の私は、舗装された道なら早く走れる力をつけ、腕を上げた。だが、砂利道や道なき道を猛スピードで突っ走れるのか。まだ舗装されていない道を走ることが、私の力ではないかと思い至りました。
そのときから意識して砂利道を選ぶようになりました。でもそうすると試合には十中八九負けるのです(笑い)」
「勝負の席に着くと、私は大きな海原に出て行くような気持ちになります。しばらくは想定する中で進みますが、やがて気象条件は厳しく変化していく。暴雨風が襲ってきたり、動きの取れない凪(なぎ)が訪れたりする長い航海を乗り切っていかなくてはなりません。自分の持っている経験も、身に着けてきた力も度胸も総動員して次を決断していく連続ですが、いざというときの判断は実は直感です。」
「対局によって充実感が得られるかどうか。勝っても負けても、例えミスが多かったとしても、自分が思い描くいい将棋が指せたかどうか。そういう自分の中の満たされる気持ちを非常に大切にしています。長い間将棋の世界にいてもなお、毎回違う発見がある、学ぶことがある。それが私にとっては大きなやりがいだからです。」

 これらのような話は、本等で読んで知っていた話。
しかし、羽生善治が語る仕事―4の話がとても含蓄があった。

「35歳になる私も、20代前半の頃には時代のスピードについていくために努力するという感覚はありませんでした。そのときの自分のペースが自分の力であり、そのまま未来がずっと続いていく気がしました(笑い)。しかし変化は確実に起きる。若い人には今、時間の観念がほとんどないかもしれませんが、時代は走っていくし自分は年を重ねます。その現実に向き合うことが大切だと思いますね。」
「 将棋を続けたくて漠然と師匠についたのが11歳、小学校5年生のときですから、棋士を一生の職業にするという意識は全くなかったし、他の仕事につくという夢も一度くらいは考えてみたかったのですが、ただその厳しい一つの世界にずっと身をおいてきたから、時代についていくことができたとも言える。進化し、技を磨き続けることがかなったのだと思います。」
「 あなたがどのような仕事を選ぶにしても、列に加わったからには勉強し、努力し、走らなければならない。でもそれが社会や時代とともに生きるということなのではないでしょうか。働かないで自由に暮らす選択をしたら、その時間は失われていく。私のように好きな将棋の道を選んでもそれは同じことなのです。」

特に最後の
「 あなたがどのような仕事を選ぶにしても、列に加わったからには勉強し、努力し、走らなければならない。でもそれが社会や時代とともに生きるということなのではないでしょうか。働かないで自由に暮らす選択をしたら、その時間は失われていく。私のように好きな将棋の道を選んでもそれは同じことなのです。」
は、含蓄ありすぎだな~。
一生懸命、働いていた時は、「社会や時代とともに生きていた」ということかな。
「働かないで自由に暮らす選択をしたら、その時間は失われていく。」、少し耳に痛いな。

それにしても、結構な本好きで色々と含蓄のある話を読んできた自分でも関心する言葉を語り続ける棋士・羽生善治さんは凄いなと思う。
単に将棋が強い以上の日本を代表する知性だと思う。

 昨日、名人戦第5戦に負けて、ちょっとピンチ。
もうそろそろ相手の研究形を外した力将棋をして欲しいね。

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